京都生まれと海

わたしは京都生まれです。伏見生まれ洛西育ち。

うっさい洛中洛外だのやかましい。

今回書きたいことと京都人の精神論はあまり関係ないので深追いはしません。

 

京都市内で育った身としては海は特別な存在であった。

漁港や街に面している海は愛知や東京に少し住んでいた時に通ったけど、そうではなく海水浴場・ビーチのある海がとても特別に感じられる。(東京はこんなに海〔東京湾〕に近い都市なのかと感動した記憶がある。東京といえばビルや東京タワー、皇居など建造物のイメージが強かったので)

京都府舞鶴あたりが海に面しているが海上自衛隊ととれとれセンターのイメージしかなく、海水浴場ではなじみがない。このブログを書くにあたってちょっとググったら舞鶴天橋立に海水浴場があったんかと驚いた。

以下、海とは海水浴場のことを指す。

 

そんなんで海水浴に行くといえば福井の海に行くことがほとんどだった。

京都からだったら兵庫の須磨や和歌山の白浜に行く人も周りにはいたが、わたしが行ったことがあるのはほとんど福井だった。

京都から海に行くことは気軽ではなかった。支度をして車を出して2,3時間は最低でも運転するのだろか。

 

今は自転車を少し漕げば海に行ける地域に滞在している。

海。知っている、分からないものじゃない、理解している。

だけどいざ目の前に浜辺がひらければそれはよくわかなかった。

 

砂浜を踏むたびに逃げていくか細い虫

突然深くなる浅瀬

気まぐれに強く打つ波

砂浜ってこんなに硬かったかと裸足で歩いて思う

岩に張り付いているあれが貝なのか虫なのかわからない

波に揺られて足をくすぐるものが流されるままの葉っぱなのか海に生きる虫なのかわからない

海はこんなに静かだったかと今まで訪れた「海」を忘れそうになる

 

太平洋は思ったよりも生臭くなかった。

日本海と太平洋ってきっと違うんだろうけど、日本海の特徴を分かってないので何が違うのかわからない。

 

 

海が身近なものでないので海に行った時の記憶は名前を付けて保存される。

3年くらい前に福井の海に行ったとき、高潮に引っ張られて沖から自力で帰れずブイに捕まり浮き輪でぷかぷか浮いていた。腕にゴリゴリのタトゥーが入ったお兄さんに引っ張ってもらってなんとか帰れたが、あの時から海が怖い。

いや、足がつかない深さの水場が怖いので琵琶湖も怖い。

 

小学生の頃は家族で泊りがけで海に行った。

それもきっと福井だったはずで、夏は海水浴、冬は蟹を食べに行った。

小学校4年生の冬が最後だったのだろうか。最後と意識していないのであまり覚えていない。

小学校5年生の夏に両親が別居をしたのできっと家族4人の旅行はそれが最後だったかもしれない。

世にも奇妙な物語を見るのが怖くて旅館の別の部屋に隠れていた。隠れるのも飽きてテレビのある部屋に戻ると米倉涼子が写っていた、気がする。あと音のしない部屋を完成させて気が狂って自分の心臓を止めた男の話もあった気がする。

海や蟹より夜みんなで見たテレビの方をよく覚えてるのは、海や蟹を家族で楽しんだことを思い出すと感傷的になるからだ。そんな必要ないのに。

 

 

いつも誰かの運転で海に連れて行ってもらった。

今は自分の力で海に辿り着けることがとても嬉しかった。

福井の海も、高知の海も、きっと訪れたことのない沖縄やカルフォルニアの海も、みんな違う「海」なんだろう。七つの海はみんな繋がっているのにどこの海水浴場も違う表情だなんて浪漫がある。

これから引っ越すところは琵琶湖も海までも車で30分くらいの位置にあるらしい。

夏の朝、まだ道路がすいている時間に早起きできたら気まぐれに海に行きたいだなんて妄想をしてしまう。

 

頼る人がいればその人に甘えてしまうけど、いないならいないでわたしは生きていけるよ。

転んだらひとりで起き上がれるわけじゃないけど、立ち上がったら一人で歩けるもんね。

だからどこの海にも自分の力で行ける気がした。

海はやっぱり怖いし、悲喜こもごもいろんな思い出に繋がっているけどみんなそのうち過去になる。

岩場に腰かけ足を海につけながらチョコレートがどろどろ溶けたアルフォートを食べて思った。

のんきに自己肯定感を確かめてたら浜辺に置いてた波にさらわれ靴が流された。

靴だけでも大海原に飛び出せないかと見守っていたら何度波に引かれてもまた押されて戻ってくる。

浮かれはしゃいで水遊びを楽しむスニーカーを回収して帰路についた。

翌日は日焼けで顔と腕が火傷していた。