死者の数をかぞえて並べるあなたへ
コロナ禍、もともと引きこもりの性分であるために外出規制がはかどる。
インターネットに接続している友人たちも家で過ごすために前年に比して平日の昼間でもSNSは活発だ。または深夜でも。
COVID-19についてはSNSの発言を避けている。
2月下旬はデマや誤報が拡散され、ネットもテレビも、一時期は政府の公式発表も信じられなかった時期もあったからだ。
自分がネットの海に投げるひとり言も、誰かが聞いているような気がしたのであまり呟かないでいた。
だからこのブログを書くのも少しためらった。
こんな時、わたしには守るべき家族もなく、ローンもなく、仕事もなく、何より矜持もない。
無職とは気楽なものである。
特効薬のない死に至る病を人に媒介するのは悲しいことなので家で大人しくする。
今日の時点(2020年4月14日午前12時)で日本でのCOVID-19の死者数は109人。
この数を年間のインフルエンザでの死者数、交通事故での死者数、自殺者数、餅を喉に詰まらせて亡くなった人の数などなどと比較する投稿がある。
非常に不愉快である。
SNSの基本的なルールは「嫌なら見るな」だが、目に入ったものは仕方ない。不愉快だ。
こんなこと、医療従事者が言ってても悲しいのに、事を分かり切ったような顔した門外漢の冷笑屋がやるから余計に憤りを感じるんだよな。
死んだ人の数を数えて並べる傲慢さは罪か?
恐らく罪ではない。しかしわたしは倫理にもとると感じている。
去年インフルエンザで亡くなった人の数に届かないから大したことじゃないとでも言いたいのか?
ひと月に自殺した人の数の方が多いからそちらの方が重要な問題だと言いたいのか?
亡くなった人の平均年齢が70歳以上で、コロナ以外の疾病も抱えていることが多いから動物のあるべき姿、ウイルスとの戦いの歴史の上では仕方ないことだと言いたいのか?
亡くなった人の数を数えて並べるなよ
お前は統計学者か医療従事者なのか?だからやってもいいことだとは思わないけどな
だからなんなんだよ
COVID-19の問題はCOVID-19の問題
自殺の問題は自殺の問題
交通事故の問題は交通事故の問題
一緒にしていい話じゃないんだよ
死んだ人の数っていうだけの共通項を無理やり繋いで並べるなよ
わたしの死生観、もしくはお会いしたこともない世間の皆さまへの期待として「死者を悼む心がある」というものを信じている。
100日後に死ぬワニがなぜあんなに話題を呼び、評価されたのか。
109人のうちのひとり、志村けんさんの死がなぜあんなに世間を揺らしたのか。
ICUから回復したボリス・ジョンソン英首相の退院を、なぜ喜んだのか。
生きてこそなんだ。
COVID-19は今日の時点では裏付けのあるワクチンも特効薬もないんだ。
だからこそ亡くなった人の数を並べてCOVID-19の話をするのはナンセンスだと思う。
わたしは平成一桁生まれで、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は記憶にない。
世の中が変わる。ニュースの第一報でそう感じたのは9.11同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災の3つだ。他にもイラク戦争とかあったけど、これが記憶にない。のんきな小学生だ。
正直、2.3ヶ月前に第一報を耳にした時は世の中が変わるとは露にも思わなかった。
のんきな小学生はのんきなまま大人になったので見事にマスクもトイレットペーパーも買いそびれた。
今でもマスクが手に入らんのだけど、みんなどこで手に入れてるんだ??
今は世の中が変わる、というよりも元通りにはならないだろうと思いながら見えないアフターコロナの世界を待っている。
ウィズコロナの時間が長引けば長引くほど、アフターコロナが長引く。
「もはや戦後ではない」ならぬ「もはやアフターコロナではない」宣言が遠のく。
きっとTOKYO2020オリンピック・パラリンピックが過ぎても宣言されないかもしれない。
わたしは何も守るものがない気楽でのんきな無職だから、祈ることと生きること以上は何もできない。
ただ生きていくしかない。
COVID-19に関わる全ての方に幸多からんことを、とお祈り申し上げます。