クリスマスの心の準備が出来ていない

えだまめです。寒いので冬眠しようかと思いましたが今日は最高気温が20℃と昨日より4℃高く比較的ぽかぽかしていたので久しぶりにブログを書こうかと思いました。

 

えだまめは京都に住んでいます。で、今は11月末。少し遅い紅葉も真っ盛り。先日の三連休はオーバーツーリズムに中指を立てん勢いの大盛況でした。

しかし紅葉はあれですね。ここ3年くらい微妙な評価ですね。今年は夏が暑くてキュッと冷えたら綺麗な色になるかなぁと思いきや中途半端な暖冬(?)でなーんかまばらなオレンジと赤です。テレビで見ただけの感想ですが。

で、です。ここ最近は紅葉について考えています。

駅の広告もお店で出されるお食事や器もやつらを意識せずにはいられません。

なのにです。世間は、というか四条通(烏丸~河原町)はクリスマスムードなんです。

ハロウィン終わった瞬間に世間とあの通りはクリスマスなんです。

 

ここ最近の流れとしてハロウィンが終わった瞬間クリスマスムードになるのは分かってるのですが、いつも受け止められんというか心の準備ができないのです。

なぜか。私たちは商業の季節の中ではなく二十四節気の中で生きているからです。

ハロウィンが終わった頃、羽織るものが少しずつ分厚くなり、寒がりさんから冬支度を始めます。

何となく見上げた空は冴え冴えとそして高らかに己が秋であることを我々に主張します。

紅葉より先に南天が色づいて、あれを見ると私はポインセチアよりも強く冬を連想させられます。

乾燥する空気に白い息が溶ける朝、太陽はゆっくりと登り暮れはさっさと沈みます。

冬が近づくにつれ、昼間でも鴨川の河川敷からは人の姿が歯抜けになります。

 

晴れと雲、昨日より暖かい寒い、今日は暖房をつけるつけない、食べ物たちははしりと旬と名残のバトンリレーをしながら食卓に現れる。

生身の人間は微妙な季節の変化の中で生きているのにハロウィン、クリスマス、新年、バレンタイン、と、とんとんと大枠の中で商業の季節は街を彩ります。

だからついて行けない。心の準備が間に合わない、実際の季節と噛み合わないのです。

 

大枠の中の季節を押し付けるのはディズニーとかUSJなどのテーマパークとかじゃないと心の準備をもってして受け止められません。

ああいった大型テーマパークは長い期間で多くのお客様にシーズンのイベントを楽しんでもらいたいものですもんね。クリスマスイベントが10日間限定とかだったらもうお客さんアホほど来てパンクしちゃいますもんね。

 

で、です。結論です。2点あります。

①この時期は街がクリスマスだけど季節は秋なのでムズムズします。

②京都には二十四節気分のいいところがあるので春と秋に観光客の人が集中して来ないでもっと分散してくれへんかなぁ~

です。

はい。短いのですが異常がこの三連休の愚痴でございます。

読んでもろておおきにです~

せめて噛め、自傷行為

これから自傷行為についてのあれやこれや書きますが、私自身は決して自傷行為を推奨しません。

他者を傷つけないことはとても良いことですが、できればあなた自身も傷つかないのが最良なのです。

この記事では死に至る自傷行為(自殺行為)ではなく、死に至らない、死に至ることを目的としない自傷行為について述べます。

 

辛いことがあった時に、人や物に八つ当たりしてはいけない。うまく言葉にできなくて、わだかまりが解消されない。体を動かしたり忙しくなっても誤魔化せないしんどさを抱える。

自傷行為に至る理由は人それぞれ、時ぞれぞれだと思います。

また、自傷行為の方法も人それぞれです。刃物で体を傷つける。肌をかきむしる。毛を抜く、自分を殴る、壁を殴る、用法用量を超えた薬の飲み方をする、暴飲暴食をする、吐く、心の伴わないセックスをする……など、枚挙にいとまが無いものです。

で、せめてです。自傷行為はしなければしない方がいいです。けれども人生そんなこと言ってられん時だってあります。そんなとき、せめて、自傷行為をするなら「自分で自分の事を噛む」というのが一番マシなのではないかと思います。

噛む自傷行為を行うにあたってお勧めしないのは粘膜(唇・舌・口の中)や爪、既に怪我をしているところ、服を着たら見えるところ(すぐに跡が消えるとはいえ人に指摘質問されるとボチボチ面倒)です。

あと日焼け止めとか軟膏とか明らかに口に入れる目的でないものを肌に塗ってるときは噛まないでください。子どもじゃないんですから。

 

噛む自傷行為のメリットは以下のようなものが挙げられます。

・跡が残らない

・力加減を徐々に調節できる

・人に迷惑をかけない

・手当の必要がほぼない

・即時的に行える(準備・後片付けの必要がない)

噛む自傷行為のデメリットは以下のようなものが挙げられます。

・噛んだ後よだれが付く

(バイト先の暇なときにぼーっとしながら噛み噛みしてたら小さい惨事です)

・噛める場所が限定されている

(人体びっくり人間じゃない限り肘より上の手くらいしか無理そう)

 

おすすめのものですから偏見をもってメリット・デメリットを挙げました。

特に噛む自傷行為で推したい点は「跡が残らない」という点と「力加減が徐々に調節できる」という点です。

跡が残る、ということは治療に時間がかかるでもあります。治療が必要な自傷行為は時間・もの、場合によってはお金も必要になってくるので、選択の余地があるなら選ばないに越したことはありません。

また、自傷行為の目的として「跡を残す」ということ思っていないのであればそれはそれはもう跡が残んないことは大切です。

新陳代謝が人並みの人なら1日で噛んだ後は消えます。3日あったら大体綺麗さっぱりです。余談ですが、人に噛まれたものはひどいもので1週間消えないものもあります。自分で噛むこと、とっても大事です。

跡が残らないという点で毛を抜く、という自傷行為もおんなじやーんとお思いになられるかもしれませんが、毛を抜くの、再び生えてくるのに時間がかかるのと、変な抜き方(より痛い抜き方)をしたら毛穴がぷつぷつに荒れて真っ赤っかになったりしますよ。できればやめときましょう。

 

もうひとつのメリット、力加減が徐々に出来る、というのはとってもいいことです。

自傷行為の王道、リストカットって手首に刃物ですよ。やばくないですか?

ぶっちゃけ自傷行為初心者は刃物ってどれくらいの力を込めてどれくらいのスピード感で引いたら(押し付けたら)どれくらいの痛み・出血量になるかなんてわかりません。

ベテラン自傷行為の人でも目測を誤る時だってあるでしょう。

そんな時におすすめなのが「噛む自傷行為」!

自傷行為界隈では王道にもマイナーにもなれない中途半端な立ち位置を占めておりますが初心者からベテランさんにまでおすすめできます☆

ほどよい腕のお肉を咥えて徐々に顎に力を入れていきます。

だんだん歯が食い込んで程よい痛みが感じられます……吐息の熱も合わさって生(せい)の触感、葛藤のエネルギーが生々しさを増していきます。

もっとグッと力を入れてもいいけれど、程よく気持ちいいところで痛みをキープするのもアリです。

パッと口を話した時にじんじんミミズが這ったような跡が疼くのもまた何とも言えず気持ちいいです。

そう、噛む自傷行為を推す個人的な理由として、「噛む痛みが気持ちいい」ということがあります。私の趣味嗜好の問題もあるでしょうが、自傷行為をするというタスクをこなす中で、気持ちよかったら一石二鳥でとてもお得です。と、私は思っています。

ひっかくタイプの自傷行為は力加減(痛みの加減)が徐々にできるという点では噛むことのメリットに並びますが、これは治療にまま時間がかかります。跡もそれなりに残ります。

殴るタイプのものは痛みが安定しない、持続が不安定などの点でおすすめできません。

やっぱり噛む自傷行為、せめてするんだったら、いいものです。

 

最後に重ねて注をさせていただきますが、自傷行為、しないんだったらやらないことが何よりです。

自傷行為をするにあたってのあなたの経緯などは私にはわからないので良しも悪しも断言できませんが、春からのあなたの日々が健康的で幸多からんことを祈っております。

メンヘラは不治の病ではない

メンヘラは不治の病ではない。
そしてこれはあなたのことを指して書いたものじゃない。勘違いするな、私の話だ。

そもそもメンヘラは病なのかと問われればわたしは医療関係者ではないので知ったこっちゃない。私の思うメンヘラは「人間関係、特に恋愛について不器用であり、且つそれによって自己または他者を傷つける(傷つけかねない)傾向にある人」です。傷つける、というのは目に見える暴力や自傷行為、迷惑行為や暴言など、と思っています。
このメンヘラの症状は日にち薬や人間関係、環境の改善で治まるかもしれませんが、メンヘラの難儀なところは迷惑行為を働くメンヘラに優しく接し、差し伸べてくれた救いの手を振り払うことです。ずっと傷ついていたい、迷惑行為を働いて邪険に思われてもいいから人と接していたい、メンヘラという位置づけが安心する。理由はどうであれ、気分によってはメンヘラはメンヘラをやめたくない時があるのです。
私の場合は、メンヘラをやめてしまえば失恋したことを忘れてしまいそうになるのでメンヘラでいたい、みたいなところはありました。
それに、人間関係や環境が変わった程度では治らないメンヘラもいる。重症だ。

で、タイトルです。
私はメンヘラが治ったと思います。完治とは思いません。PMSとかでメンヘラが再発する時もあります。
それでもずいぶん症状は軽くなり、お行儀もよくなったと思います。
私見ではありますが、メンヘラの症状の改善方法について書きます。

ショーペンハウエルの言葉に「富は海水に似ている。飲めば飲むほど、のどが乾くのだ。」という言葉があります。富を海水に置き換える具合で、愛を食料に置き換えてほしい。
恋愛について器用に振る舞える人というのは、例えば恋人から1日に10の愛を貰えるとする。それを3・3・4に分けて朝昼晩と一日かけて消化する。
しかしメンヘラは10の愛をもらえたらその場で10の愛を消化してしまう。人間、一時満腹になっても腹が減るものであるからメンヘラは「10じゃ足りない、20ちょうだい、30ちょうだい、50ちょうだい、もっともっと、無限にちょうだい」と愛を要求します。消化しきれないほどの愛を与えれば、「こんなもん食えるか」とうっちゃることもあります。
要求されるがままに愛を与えれば、その愛にかまけて我が儘になるメンヘラ。よくない。
本来1日10の愛で生きていける人間が30の愛を日頃与えられれば30の愛なしでは生きていけない。
2000kcalで生きていける人間が毎日5000kcal摂取してたら2000kcalじゃ腹が減って仕方なくなるように。

この時、メンヘラと器用に付き合える人間は三種類いると思われる。
まず、メンヘラがいくら愛を欲しがっても規定量の愛を淡々と渡す人間。これはとってもいい人。メンヘラへの躾を心得ているいい人だ。
次に、求められるがままに愛を延々と与える人。よほど懐が深い人で、その人は親や友人などいろんな人から愛されてきたんだろうなと思う。が、メンヘラの我が儘を助長させるので一概にいい人とは言い切れない。
次に、メンヘラを上手にもてあそぶ人間。愛を言われるがままに与え続ける。10欲しいのか、30欲しいのか、いくらでもあげよう、といいながらある時突然愛を与えなくなる。いくら満腹になってもメンヘラも人間、数日後に腹が減ってくたばりそうになった時、その人は突然3程度の愛を与える。本来なら全く足りないであろうその愛にメンヘラは狂喜しその人になつく。これはとっても悪い人。この器用な悪人タイプの人にはそうそう会ったことがないのですが、稀にいるのが世の中の怖いところです。

メンヘラを治すには、最初の一定の量を淡々と与えてくれる人に、淡々と愛を与えてもらうことです。
メンヘラよ、苦しいと思うが、それしかないのだ。
10の愛を味わって大切に咀嚼せよ。
この方法、承認欲求がゴリゴリのメンヘラには効くけど、コミュニケーションが取れないくらいパニックになってるメンヘラには効かない。失恋したてほやほやとかひたすら酒を飲んでるメンヘラとかですね。

この時気を付けることは、誰もが一日の食事量が異なるように全人類の与えてほしい愛の量は10ではないことだ。
7で足りる人に毎日10与えれば毎日3の分だけないがしろにされるかうぜぇと思われる。
12必要な人に10しか与えなかったら徐々に衰弱する。
元々30とか50、100とか病的な量が必要な人は恐らく愛着障害だ。恋人に電話する前にいっぺんお医者さんにかかってみよう。(私は医療関係者じゃないから)知らんけど。

メンヘラよ、欲しいだけの愛を与えてくれないのはその人があなたを愛していないからなのではなく、その人の都合だ。その人にはあなたに愛を与える以外にも学校なりお仕事なり友人関係なりいろいろあるのだ。
愛が足りないのであれば人から与えてもらうのではなく自炊しよう。
自炊しようったって、メンヘラ以外の人でもなかなか愛の自炊はできない。
愛の自炊、自分で自分を褒めることだ。
ちょっとのことでいい。布団から出れた、お風呂に入れた、外に出れた、ご飯食べれた、片付けできた。小さなことでいいから自分を褒める。自分の事を愛してあげよう。肯定ペンギンちゃん参考にしよう。

愛を与えてくれる人がいる前提で話を進めましたが、メンヘラの皆様がんばって愛を与えてくれる人を見つけましょう。もしくは今の恋人に愛を与えすぎないでくれと伝えましょう。セフレとか友だち以上恋人未満的な曖昧な関係の人は知らん。勝手にしてくれ。
余裕があれば愛をもらうばっかりではなくあなたも愛をあげましょう。

乱筆拙文失礼しました。


えだまめ